令和元年紅葉の奈良

ゴールデンウィークに奈良・室生でお世話になった方に会いたくて出かける。気持ちはあっても自分が元気でないといけない。今しかない。会えるか、会えないか、どんな風になるのか、そして慣れない車中泊は大丈夫か。わくわく、ドキドキしながら準備をする。

 熟睡できないまま3時に起きる。出発4時、浜名湖SA5時、刈谷SA6時、名港トリトンを越えJCT名阪国道方面に。御在所SA7時前に通過。亀山付近に来た時、朝日を浴びた空に無数の気球が浮かんでいる。そう遠くではなさそうだ。亀山インターを降り、気球を目指し名阪国道とは反対方向に曲がる。

 

知らない道を気球だけを頼りに走る。光の加減で白くしか見えなかった気球が、今、青空の中、様々な模様と、鮮やかさを際立たせ浮かんでいる。何とか打ち上げ場所の河川敷にたどりついた。30機はあるだろう。飛ぶというより、動いているというより、ぽっかりと浮かんでいるのだ。まるで誰かが青空に描いたようだ。

 風一つない穏やかに感じる空の上では風が吹きわたっているのだろう。その風はどこからきて、どこに向かっているのか。今、気球に乗っている人たちは、唯一その風と会話をしながら、風の力を借りて目的に地に行ける人たちだ。空を見上げ見えないものを想像し、初めて見る空のキャンパスを飽きることなく眺めた。

 

奈良・針テラスより懐かしい室生の里に向かう。ドキドキしてくる。目的のお宅はお留守だった。はるばる訪ねて来たのにと力が抜ける。先に室生寺に回る。 

 紅葉は少し盛りを過ぎていたが、所々にある鮮やかな紅葉がひときわ目を引く。鎧坂から金堂へ、登った先の弥勒堂、五重塔が迎えてくれた。檜皮葺きの屋根は盛りを過ぎた紅葉と同じで、渋さを通り越し少しくすんでいるようにも見える。5月に来た時の青紅葉とシャクナゲの中に渋く佇む姿とは少し違っていた。

 

もう一度お宅に伺うとやっと会えた。ところが私の思い出は最高潮なのに対して相手の方は私のことをよく覚えていなかった。なんという迂闊。自意識過剰。相手が自分と同じと思い込み、手土産や住所まで書き、重いことをしてしまった。相手の方は戸惑っているようだった。少し外で話をし別れる。覚えていないかもと想像できない自分、一人で勝手に喜んでくれると思ってしまう自分。いつも人に対して期待しすぎてしまう自分を責め、この後その思いはしばらく消えなかった。

 

龍穴神社と龍穴へ。自分の心が揺れていたので、5月に来た印象とはだいぶ違い、龍もひっそりと冬眠しているような、寂しい感じがした。

 

談山神社に行く途中、長谷寺による。この道は依然和歌山に行く時に通ったのでは…

何か縁のようなものを感じる。寺までの参道は狭い道にまで車が入り込み落ち着かない。印象的な屋根のある石段を上ると本堂に着いた。板敷でお坊さんが三味線の演奏をしていた。参拝者を楽しませようと工夫をしているのだろうが、俗化して観光地化している。回廊を回ると正面に清水寺のような立派な張り出しがある。静かな山寺を味わうには最高の雰囲気のはずだが、あまりに賑やかで落ち着かなかった。

 

談山神社に向かう。狭い山道をバスが対向車とギリギリですれ違う。こんな山奥でもずいぶん混雑している。駐車場はどこもいっぱい。遠いところに車を止めて歩いても、帰りの渋滞に巻き込まれそうなので、反対側の町に下る。

 そこは明日香村だった。飛鳥時代に対し関心はなかったが、とりあえず石舞台を見ようと歩くが、まさかの入園料が必要。奈良にきて一体どれだけ駐車料を払い、入園料を払った事か。遠くから見るだけで充分。

 

 飛鳥寺の大仏は洗練されてはいないが、地面に足をつけたような存在感と、たくましさ、力強さを感じた。すぐ近くの資料館を見るうちに興味がなかった古代の文明を少しづつ想像してゆく。この地に飛鳥時代の都があり、機械もない時代に人の力だけで鉄などの金属を生成していた。今と大して変わらない人々がどのように暮らしていたのだろう。この後の宿も決まらず、室生でのこともわだかまり、見知らぬ土地で一人佇む。夕暮れ時に見る都跡地にどこか郷愁を感じた。

 

 針テラスに着いた時はもう暗くなり、肌寒い。頼りにしていた温泉はなんと改装中で、心細さも膨らむ。

狭いアクアは座布団で高さ調節をしたので、以前より快適。寒さも感じない。駐車場の場所も悪くない。早く寝て明日に備えよう。